2009年2月。東京マラソン。タレントの松村邦洋さんがレース中に倒れ、一時心肺停止となる事故がありました。AEDなどの迅速な救命措置のおかげもあって幸い松村さんは間もなく意識を回復、退院後はタレント業に復帰されています。

その2年後、2011年。サッカー松本山雅FCの松田直樹選手が練習中に突然倒れて心肺停止となり、2日後に亡くなるという痛ましい事故が起きました。

健康そうに見えた人でも、トレーニングを重ねた人でも、20代・30代の人でも。スポーツ中の心停止は、誰にでも起こり得る事故です。

2016年エディテージ研究費 論文投稿支援グラントの採択を受けた清原康介(きよはら・こうすけ)さんは、救急搬送された患者さんの記録を統計的に分析して、スポーツ中の心停止がどんな人に、どんな時に起こりやすいのか、事故が起こってしまったあと回復の可能性を高めるには何が必要なのかを探ろうとされています。

どの人がどんな病気になりやすい? 危険度を知って予防に繋げる『疫学』の考え方

清原さんのご専門は、疫学(えきがく)。ある特定の集団の中で、特定の病気がどの程度の頻度で起きるのか、原因は何なのかを調べ、予防や予後の改善の方法を探る学問です。

疫学の基本的な考え方はこうです。例えば『たばこを吸う人』と『吸わない人』という2つの集団があるとき、どちらの集団の方が肺がんになりやすいのか、実際に肺がんになってしまった時、どちらの集団の方が5年生存率が高いのかを病院や自治体の記録を使って調べます。『以前は吸っていたけれど、今は吸っていない人』だとどうなるのか。『がんになってからたばこをやめる』ことで予後は良くなるのか、変わらないのか。1つ1つ比較していくことで、『たばこ』と『肺がん』に関係があるかないかを知ることができます。『たばこを吸う人』の方が肺がんになりやすいと分かれば「たばこをやめよう」と呼びかけて、肺がんの予防に貢献できるようになる。これが疫学研究の意義です。

元々心停止に興味を持っていた清原さんは、これまでに『入浴』や『トイレ』と心停止の関係を調査され、現在は大阪府、大阪市で救急搬送された患者さんを対象に、スポーツと心停止の関係を研究されています。

清原さん「大阪の消防庁には、救急搬送があった際、どんな人に何が起こったのかを同一のフォーマットで電子データとして記録するシステムが確立されているので、そのデータを提供していただいて分析に使っています。自分個人が見せてくださいと言っても見られるものではないので、大阪の大学病院や大学の先生とチームを組んで、そのチームと大阪府・大阪市との共同研究という形を取っています」

実際に救急車を呼んだことがある方はご存知かもしれませんが、救急車が現場に到着すると、救急隊員の方は患者さんへの処置だけでなく、患者さん本人や周りの方に対して、どんなことがあったのかの聞き取りをされています。大阪市の場合にはそこで聞き取った情報を、テキストの形で詳しく記録しておくことが義務付けられているそうです。

「他の自治体でどんな制度になっているのかは分からないですが、大阪市の場合はとても詳しいです。大阪府からは、心停止に関するいくつかの項目を研究用にデータベース化したものをご提供いただきました。ありとあらゆる心停止のケースが載っていたので、その中からスポーツ中のデータを抽出して使っています」

冒頭に取り上げた松村さんや松田選手の事故はその当時大きなニュースになりましたが、スポーツ中の心停止に関する疫学的研究はニュースの後もあまり進んでいないと清原さんは言います。

「どのくらいの頻度で起きているのか、どういうスポーツに多いのか、もしくはどれくらい助けられているのか、そういうことに関してはデータがないというのが現状ですね。欧米では近年比較的そういう研究もされてきつつはありますが、アジアではまだ私の知る限りではスポーツ中の心停止にフォーカスを当てた疫学的な研究はほとんどないようです。恐らく検討するためのデータの蓄積が少ないことが原因なので、大阪のデータをいただけるのは非常に貴重でありがたいです」

今のご所属は医学部ですが、学部時代は神戸大学の発達科学部で健康の増進や疾病の予防など、ヘルスプロモーションを学ばれていた清原さん。卒業後に当時開講されて間もなかった京都大学のスクールオブパブリックヘルス(公衆衛生の専門家養成に特化した大学院過程)に進学され、そこで疫学と出会います。

「当時は疫学であれば何でもやってみるというようなスタイルでした。奈良女子大学の保健管理センターに禁煙の研究で有名な先生がいらっしゃって、院生の頃はその方と一緒に研究をさせていただいていました。卒業後もその時のご縁で1年間研究員としてお世話になって、2010年に今の東京女子医科大学の方に移ってきました。神戸大学の発達科学部は元々教育学部から名前を替えたところなので、人には一応教育系の出身だと言っているんですが、教育の中でも理科とかではない、社会医学の分野から疫学に進んで医学部で働くというのは比較的珍しいようです」

今回のご研究についても、同じチームのメンバーはほとんど全員がお医者さん。疫学の専門家は清原さんお一人だけだそうです。

「統計的な解析が自分のメインの仕事になりますね。お医者さんは統計の専門家ではないですし、あまり得意ではない、好きではないという方も多いです」

1人のスポーツマンとしても。事故防止への思いから研究へ

清原さんはお仕事の傍ら、趣味で格闘技を長年続けて来られたスポーツマン。スポーツ中事故がないように、普段から気にされています。

清原さん「疲れている人やうずくまっている人を見ると大丈夫か気になって、こういう時にどうしたらいいのかなと考えたことが今回のテーマに繋がっています。ただ、スポーツ中の心停止自体そんなに頻繁にあるわけではないので、結構大きなデータベースが扱えないと分析は難しいだろうなとも考えていました。今回大阪のデータを調べられることになったので、この機会にやってみよう、と」

今回のご研究では大阪という一地域に特化した分析になりますが、日本ではこれまでほとんど調べられていないテーマでもあり、ご自分の研究がきっかけとなって他の地域でもデータの蓄積や分析ができるようになってほしいと清原さんは言います。

「地域によってスポーツのポピュラリティと言いますか、人気のスポーツや、人口の特殊性もあると思うので、できればこれを機会に、他の地域でも広げていけたらいいなと思っています。今回の研究を公表してこういう結果が出せるとわかれば、将来的には他の自治体とも、大阪のケースと同じような協力体制を築くことができないかなとも考えています。

お金がなくてもデータがあれば。研究を続けるバイタリティ

複数の学問分野にまたがっていたり、他の研究者の方があまり手を付けていないテーマだったりすると応募できる研究費が減り、研究資金を確保することが難しくなる。清原さんの社会医学も例外ではありません。

清原さん「やっている内容にぴったり合う研究費というのはなかなかないですね。滅多にないということは、募集があったらあったで競争も激しくなりがちです。私の研究の場合、インターネット調査をしたりインタビューをしたりということになればお金が必要なんですが、そのための元手がなかったので、そういう手法を選ぶことはできませんでした。お金がないからと言って何もしないことはできないので、お金の要らない研究をしようと考えて、無償で提供していただけるデータを使って分析して形にするということをもうずっとやっています。ただそうなるといざ研究費に応募しても、『えっこの研究お金要らないよね?』と言われてしまってなかなか通らないんです。最近では論文誌も掲載料がかかるところがかなり多いですし、英文校正も専門の方にお願いするのが必須になってきているので、どちらにしてもそういう部分のお金は必要なんですが、共同研究者や上司が持っている研究費の中からうまく自分の研究に関連性のあるものを見つけて分けてもらったりして、自分の財布を持っていないストレスというのはありました」

お金を掛けないよう頑張ったのに、そのために余計に研究費に当たりにくくなるのだとしたら皮肉な話です。それでもめげずに、ご自分の興味のあるテーマで研究者としての独り立ちを目指されている清原さん。インタビューの最後には、ご自分を含めた若手の独り立ちのきっかけになるのは若者同士のつながりの場、コミュニケーションの機会ではないか、そんなご提案をいただきました。

「我々の分野の中だけでみても、研究室が違えばもう何をやっているのかわからないというようなことはよくあるので、もっと外に出て、色んな人と交流して話を聴く機会が必要かなという気がします。同じ分野の研究者同士で悩みを共有したり、異分野交流という意味で言えば例えば社会学の方々は、研究のやり方として、我々がやりたい研究に見合うものを持っておられるんじゃないか。そういう形で考えると、テーマは全然違うとしても研究の手法でお互い補い合えるとか、もしくはそっちのテーマとこっちのテーマは実は近いよねと分かればコラボレーションしていくとか。もちろん全くリンクしないということもあるかもしれないんですが、そういうコミュニティはあっていいんじゃないかなと思います。キャリアパスという意味でも、うちの分野にこういう人材がいるんだけどと紹介できるようなところがあれば」

たとえお金が潤沢でなくても、お互いのやり方やデータを出し合って助け合えればやって行けるのかもしれない。清原さんのご提案は、若手研究者がこれからの時代を生きていくために重要なヒントともなる、とても力強いものでした。

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