「自分の終わりを決めるのは自分。どんなに低くてもいいから、飛び続けること。」田中憲子(たなか・のりこ)さんインタビュー

Nature Index 2017 Japanで日本の若手研究者の研究環境問題が特集され 、世界的なトピックになりました。ポスドクの研究環境問題が再燃中、といったところですが、あの特集を読んで深く頷いている若手研究者の方が沢山いることでしょう。

2016年のエディテージ研究費の採択を受けた田中憲子(たなか・のりこ)さんも日本の研究環境の問題を身に受けながら研究を続けてきた一人。名古屋大学総合保健体育科学センターの准教授にして、研究をしながら単身赴任で子育てをする二児の母です。体育学の研究者にふさわしくハツラツとして元気一杯な印象の田中さんですが、今の研究環境にたどり着くまでには壮絶な苦労がありました。

苦労続きのポスドク時代。それでも研究を諦めなかった。

田中さんは早稲田大学に2003年に 新設されたスポーツ科学部の前身となる人間科学部スポーツ科学科を2001年に卒業しました。そして在学中の4年時当初からヘルスケアの研究に興味を持ちました。周りが就職活動をしている中で田中さん自身もすでに大手製薬会社に内定が出ていましたが、 内定を辞退し、大学4年生の春から院試を始めて 東京大学の大学院に進学し、研究者としての道を歩み始めました。

苦難が始まったのは博士号をとって研究者として働き始めた直後から。

「ポスドク2年目に妊娠したためにフルタイムの研究職を離れざるをえなくなり、産後1年間はアルバイトのような形で働いていた時期がありました。今でこそマタハラという言葉がありますが、当時は女性研究者の妊娠・出産へのサポートがあまりない状態でしたね。」

当然、妊娠・出産ぐらいで研究の道を諦める気はこれっぽっちもなかった田中さん。出産後も研究を続けて研究者としての業績を残すため、国立健康・栄養研究所にアルバイトのような形で1年間雇ってもらい、子供を育てながら研究を行います。

「1年後に やっと学術振興会の研究員として採用され 、国立健康・栄養研究所 に4年間在籍していました。その間に実は妊娠していた子供が7ヶ月で死産してしまうという経験をし、ショックで家から出られず研究所のみなさんに大変な迷惑をおかけした時期がありました。その後、また2人目の子供を授かって出産し、2人の子供を育てながら研究をしていました。」

しかし、採用期限の満了にともない、育児しながら再び就職活動を行い、ヘルスケア関連の企業に2年間勤めました。しかし企業では当然ながら、思うように自分の研究を行うことはできません 。一度はヘルスケア関連の企業に2年間勤めてしましたが、名古屋大学の総合保健体育科学センターに講師として採用され、2017年の4月からは准教授に昇進し、ようやく自分の研究テーマを追求できるようになりました。

博士号を取ってからポストが定まらず、思うように研究ができない期間は、精神的にも厳しかったんじゃないですか?

「かなり辛かったですね。私の専門は体幹の筋肉の研究で、大学院からポスドクの2年目ぐらいまではコツコツ続けていた研究にようやく戻れるまでには6年ぐらいのブランク があったことになります。でもどんな状況にあっても、自分の時間の中で論文だけはとにかくこつこつ出していました。」

サルコペニア診断に新しい基準を。体幹の筋肉の第一人者になるために。

田中さんの研究テーマは、最近一般的にも注目されるようになってきた「サルコペニア」。大学院時代からこれまで体育学の中でも身体組成を専門に研究してきましたが、中でも体幹の筋肉の重要性に注目しています。

田中さん「身体組成って体脂肪率や筋肉量どれくらいという話なので、一般の方にも興味を持たれやすい分野です。子供が人間の絵を描く時って、だいたい胴体を大きく描いて手足をぴゅっと細く描きますよね。胴体、つまり体幹ってそれだけ人間の身体組成の重要な位置を占めているのにもかかわらず、学術的にはデータがなく ほとんどブラックボックスなんです。最近注目されてきたサルコペニア(加齢と共に筋肉量が減少すること)の診断基準も、アジア人の場合は手足の筋肉量だけが診断基準になっている。 体幹部、つまり胴体の筋肉は体全体の40%を占めていて、加齢と共にすごく減りやすいんです。そこを計測に含めないで人間の筋肉量は語れないのではないかと考えています。」

これまで手足の筋肉量と違い、計測法に限界があった体幹の筋肉量データの集積ですが、田中さんはパノラマ超音波画像方による新しい計測方法でこのテーマにチャレンジしようとしています。2010 年ほどから太ももや腕などの計測に使われ始めたパノラマ超音波画像法ですが、体幹筋肉の測定にはまだ積極的に使われていません。重要なテーマにもかかわらず、あまり先行研究がない理由はなんなんでしょうか?

田中さん「それはやはり、体幹筋の研究がとにかくとても面倒だからでしょうね。お腹の部分って色々な臓器や脂肪がありますから簡単には測れないんです。測定自体にかなり工夫が必要です。ただ、ちゃんと測定できればデータがそのまま意義のある研究成果になるはずです。超音波画像の計測機も今はパソコンぐらいの大きさですごくコンパクトになりました。それ1個を共同研究者から拝借していろいろな場所に持ち運んで、様々な年齢の方の身体組成の測定をさせていただいて研究をしています。」

今回の研究費を研究にどのように利用する予定ですか?

田中さん「今回の研究では、体幹の筋肉量のパノラマ超音波画像法とMRIのデータを対比させてデータの正確性を検証したいと考えています。エディテージ研究費はMRIの撮影にかかる費用と研究に協力してくださる方の謝金に使いたいと思っています。」

重要だとわかっていても手間と時間がかかり、他の研究者が手をつけないからこそ、自分がやる価値がある。田中さんの諦めない生き方と体幹筋肉の測定の研究をライフワークに選んだ理由は強くリンクしているように感じられます。

女性研究者のピークは50代!単身赴任しながらの子育て、研究。

名古屋大学総合保健体育科学センターの准教授として、学生時代から温めていた研究に邁進する田中さんは、プライベートでは2人のお子さんのお母さん。東京で暮らす旦那さんと離れて、名古屋で単身子育てをしながら研究を行なっています。実は名古屋大学には新しく赴任してきた教員のためのメンター制度があり、仕事やキャリア、プライベートについて先輩教員の方に相談できる仕組みが充実しているそう。そのメンターの女性研究者の方から言われた言葉が田中さんの心に残っているそうです。

「単身で子育てをしながら研究業績を伸ばしていくのは挑戦です。これから研究者としてどうやって生きていけばいいかと相談した時に、メンターの先生が『50代になると男性研究者の方は学生指導に追われて自分では研究をしなくなることが多いけれど、女性研究者は子育てや生活が落ち着いた50代から伸びる。それで定年ぐらいには業績がトントンになるんだよ』って言われたんです。その言葉が大学院時代の恩師から言われていた『1回止まるとそこで終わっちゃうから、どんなに低くてもいいから飛び続けなさい』という言葉と自分のなかでつながりました。その言葉を日々頭に置いて、今は我慢、我慢で頑張ろうと思っています。」

ちなみに、名古屋大学には新任教員のためのメンター制度以外にも研究者が子連れで通勤できるワークスペースが設けられていたり、教員が学内にある保育園や学童保育室に子供を預けられるシステムがあるなど、子育て中の研究者をサポートする仕組みが設けられています。中でも田中さんもメンターに勧められて参加している、有志の研究者の方々が主宰する「名古屋大学子育て単身赴任教員ネットワーク 」は、田中さんのように単身赴任で大学に勤め、一人で子育てをしなければならない研究者のための情報交換の場として支えになっているそう。

また、体育学者として「30代〜40代の女性をもっと動かしたい」という野望を持つ田中さん。名古屋大学総合保健体育科学センターの同僚と一緒に日替わりで週に3回ほど サッカーやバドミントン、テニスをしたり、大学内でスポーツ教室を開いて運動の楽しさを教えたりなど、研究以外でも社会活動にアクティブに関わっています。

田中さん「運動の良さを伝えたいんですね。今の30代、40代の女性って運動習慣がない人が多い。運動っていうとすごく頑張らなきゃみたいに思ってしまっているんです。だから運動の垣根をさげて、もっと簡単にできるんだよってことを浸透させていきたいんです。」

若手研究者として、女性研究者としての思い。

大学を卒業する時に企業就職をやめて研究の道を選んでから、若手研究者として、女性研究者として、普通より多くの困難を経験してきた田中さんは、今の研究環境をどう見ているのでしょうか。

田中さん「女性研究者として生きていくことは 、やっぱり気合が必要。 大学院に行って研究者を目指しても、結婚とか育児経験を経て辞めていく人がいるのも事実です 。人生においてなにを幸せと思うか。そこに尽きると思う。私自身も様々な経験を通して変わってきた思いもある。研究者として働きながら子供を7ヶ月で死産してしまった時、一度は苦しくてやめようかと思いました。でも、自分にとってなにが幸せなのかと考えた時、それは「研究」だったんです。もしそれが別のものであったとしたら、今は研究を続けていなかったかもしれない。研究を続けると決めても、男性よりも研究時間の制約がある中で同じレベルの業績を求められる。だから、気合が、そして効率が必要です。」

若手研究者として難しいと感じたことは何ですか?

田中さん「Nature Digestで日本の若手研究者が今苦しんでいるというテーマが取り上げられていましたけれど、私も同じ経験をしてきました。 2〜3年という細切れの雇用期間の中では、研究テーマが就職先と雇用期間に縛られてしまう。しかも次の就職先を探すために、研究の傍、申請書をたくさん書かなければいけない。女性の場合は,ここに妊娠・出産・育児が加わる場合もある。今若手研究者が一つのテーマを突き詰めてまとまった研究成果を出すのはすごく難しい状況にあることは確かです。」

にもかかわらず、なぜ、諦めずにここまで続けられたのでしょうか?

田中さん「自分の幸せは「研究」だと思っているから。それに、誰かに自分の終わりを決められたくないから。就職先の制約や条件で自分の研究者としての未来が決められるのは納得できなかったからだと思います。自分が限界まで努力し続けて、それで駄目ならしょうがない。でも、それは誰かではなく、自分自身が決めることだと思うからです。」

田中さんの研究者としての経験は、後進の若手、女性研究者の方にとってヒントになることが詰まっていると感じます。もちろんシステムや制度自体が変わっていく必要がある。その一方で、田中さんのように与えられる条件や環境に屈せず、研究者としての道を着実に切り開いている人がいます。どんなに低くてもいいから、飛び続けること。勝負は続きます。

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この記事を書いた人

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